Billy Klüver on Island Eye Island Ear
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アイランド・アイ・アイランド・イヤーについて 
ビリー・クルーヴァーによる覚書
日付:
2001年5月3日
内容説明:
晩年のビリー・クルーヴァーが《Island Eye Island Ear》プロジェクトについて回想した覚書。
資料保管場所:
#Klüver/Martin_Archive
資料制作者:
#ビリー・クルーヴァー
#ジュリー・マーティン
翻訳:
デーヴィッド(・チュードア)は、彼の言葉を借りれば、島の自然を「露わにする」プロジェクトを企画した。彼の説明によると、「この作品によって島の様々な自然の特徴に想いを巡らせ、それらを際立たせたかたちで提示したいんです。例えば、ぼくがやろうと思っているのは、ある特定の環境的状況に自然に住んでいる音を取り上げて、別の環境的状況に置くことです。そうすることで、その別の環境によって、同じ音でありながら経験する仕方が少し変形される。そうすれば、その音を忘れなくなります。それはあなたとともにさまざまなかたちで生きることになる。」
「パラボリック・リフレクターを使って、人がそのなかを通れるとても強いサウンド・ビームの通路を作ります。これらのビームは非常に凝縮された音源であり、そのビームから離れると音の強度はかなり弱まります。他のところでは音は飛び散るかもしれませんが、それでもつぎの瞬間には、まだとても凝縮された音に出会えるでしょう。それからリフレクターを、石のような自然の反射面に向けたりもします。これはビームを作ることと同じような考えですが、それとは異なる特徴を得ることもできます。たとえば石は音を逸らし、それを別の方向に向かわせることで、別の自然の場面をその音で覆うことができます。」
そしてデーヴィッドは、島のヴィジュアル的な側面も考慮し、中谷芙二子の霧とジャックリーヌ・モニエの凧、そしてスウェーデンでは振付家のマーガレッタ・アスバーグのダンサーたちをプロジェクトに含めることを提案した。これら三つの要素はすべて、企画タイトル《Island Eye Island Ear》と同様にデーヴィッド本人が考案したものだ。
ジャネット・ボニエがスウェーデン群島にあるクナーヴェルシェア島を提供すると言ったとき、デーヴィッドは即座にイエスと応じて、1974年の夏、私たちはアンテナ、音響機器、霧を発生させるノズルやポンプを携え、島を訪れた。2週間にわたり音響と霧のテストを行い、島の地図を作成した。
このプロジェクトが難しいものとなったのは、露出した岩盤や多様な森林地帯、植生など、デーヴィッドが必要とした特徴を持つ島は、世界でも数カ所しかなかったからだ。
最終的には、スウェーデンのクナーヴェルシェア島を始めとして、アディロンダック山地の二つの島、ブラフ島とボルダー島、そしてセントローレンス海路にあるヨー島で調査を行い地図を作成。その他にも、サラナック地域やマサチューセッツ州、メイン州の海岸沿いで6つほど島を調べて回った。全ての島で何かしらの問題があったが、ある島では所有者の兄弟姉妹間で意見が合わず、また別の島は半分がカナダに属することが判明した。
最適な特性を持つ島を探していたとき、ヘリコプターは役立たずだとわかった。全然小回りが効かず、操縦も難しい。代わりにアシスタントのジル・クラウスコフと私で小型飛行機を借りて、見てみたい島の上を低空飛行して、ゆっくり旋回したらすぐに同じ場所に戻ってこられるようにした。サラナックレイク空港の操縦士たちとも親しくなったのだが、そのうちの一人であるハンク・スノーは、地元のスタント・パフォーマンスで、いつも動く車の上に飛行機を着陸させているような人だった。
デーヴィッドは本気だった。《Island Eye Island Ear》プロジェクトで困難に直面していたとき、彼に「本当にこのプロジェクトをやりたいのか?」と低レベルな質問をしたことがある。彼の答えは「命ある限り」だった。あとでこうも言った。「島という場所の絶対的なユニークさを経験することの喜びを他の人にも知ってほしいんです。ぼくにとってそれは自分が見つけたものを大事にして、他の人と分かち合うことなんです。」
2001年5月3日
(翻訳:田村かのこ)
#タイプ:アーカイブ資料
#文書